放心してたら2週間経っていた。
驚き、否定、悲しみ、疑問、怒り、悲しみ、という順に感情が色々やってきて、
今の感じはよくわからない。
冒頭は舞台劇を観てるみたいだった。
途中、場面は変わるけどずっと同じ人たちが出続ける会話劇。
行方不明になったとわ子を探すのはわかるが、とわ子の家で餃子パーティーをするのはマジで意味がわからなくて本気でイライラしてしまった。本人不在だぞ?正気か?(踊らされる視聴者)
あの女三人、怖すぎ。酷かったね〜。
彼女たちの立場になれば、気持ちわか…るかと思ったけどマジで全然わかんなかったです。
あの、鹿太郎と慎森て、そこまで酷いかな?
八作(松田龍平)が言われるのはわかる
(あの子の立場でそれ言うか?とは思うけど)。
ショックを受けても冷静に反省し自分のこと客観視できるのは間違いなく素晴らしい人となりである。
「ぼくたちは大豆田とわ子に甘えてたんです」
この手法すごいと思った。
大抵のドラマが本人達に語らせるか回想を挟むところ、このドラマは圧倒的にそれが少ない。餃子パーティーの場合、まったく関係ない第三者たちの存在が、大豆田とわ子という人物の輪郭をハッキリさせるし
その他のシーンの会話の中でも、とわ子と三人の元夫それぞれの過去を浮き彫りにさせてきている。
かごめ(市川実日子)が、死んでしまった。
何度でも言うが完全に踊らされてる視聴者なので八作(松田龍平)が病院に着いたとき、とわ子が怪我でもしたのかな?と思ったら
かごめちゃんが死んだて……嘘でしょ……
唐突すぎない?
今思えば、すべてフラグだったよ?
でも今思えば、よ!気づかないよ!全然!!
これもだ。大抵のドラマでは「なんかこのキャラ死にそうだな…」と多かれ少なかれ気づかせるんだよ絶対。
無かったよ。全くわからなかったよ。
そして葬式が終わるまでが異常なほどサラッと、淡々としてんのよ。ポップなBGM流してさ。
最後までかごめちゃんの姿は一切見せず。
従来のドラマと、違いすぎるだろ。
それで気づくんだけど、
今それを私が意識してないだけで、人はいきなり死ぬ。
あと現実で人が死ぬと葬式の手配とか準備ってマジで忙しすぎて悲しむ暇なんかない。スピード勝負だし、選んで決めなきゃいけないことが山程あってその目まぐるしさで「いま誰のお葬式してんだっけ?」て一瞬わかんなくなるくらい慌ただしさと混乱の中で一大事が過ぎていく(ほんと葬式っておかしい仕組みだ)。
すべてが滞りなく済むと、亡くなった人の余韻を感じるのはそれからだろう。
一人でその人が描いた漫画の原稿見ながら。
現実突きつけてくるこのバランス。
そして1年後(!)、新たに登場したのがオダギリジョーですよ。
第二章の始まり。人生は進む。
でも、やっぱり寂しいよ。かごめちゃん。