エルピス最終回を観た

嬉しかった。

 

現実で日本で社会で生きてる私たちが今、

向き合わなければいけないことを提示して

ドラマとしてちゃんと面白くて

まさみと郷敦は恋仲にならなくて

話の着地も完璧だった。

 

鑑賞後しばらく、そのことしか考えられなくてボーッとしてしまった。それほど感動していた。

 

 

超個人的な問題で出演者や脚本家、スタッフに好きな人がいないと(しかもそんな多くない)

ドラマというもの自体を観ない。

 

関テレ月曜夜10時放送『エルピスー希望、あるいは災いー』(以下エルピス)に興味を持った理由は

・プロデューサーが佐野さんだから。

・たまたま観た番宣がカッコよかったから。

・音楽が大友(良英)さんだから。

である。

 

佐野さんが作るドラマは観たことがあった(『カルテット』と『大豆田〜』)ので、多分面白いだろうと思ったし観る前から

「このドラマは間違いない」

と何より確信めいたものをくれたのが

音楽担当の大友さんの存在だ。

 

私は元々クドカンのドラマは好きで

NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放送された時、

大友さんが生み出すその音楽の凄さに感動した。

余談だがドラマ放送当時、私は出産したばかりで新生児の世話に追われ毎日寝不足状態だった。第一子で全てが初めてのことに24時間常に緊張しており、夫は「育児と家事は手伝う」スタンスを頑なに崩さない割に口うるさく、たまに育児参加すれば不注意から子どもに怪我させたり無自覚な意地悪をして泣かせたりする謎の思考回路を持つ人だったのでケンカばかりした。両親とは関係が悪く、ママ友もおらず、心から頼れる人はいなかった。今思えば産後うつだったかもしれない。

 

朝、テレビをつけて『あまちゃん』の、あのオープニングが流れると

めっっっちゃくちゃ元気がでた。

あまりに沁みて涙する日もあった。

 

それから数年後、NHK大河ドラマ『いだてん』でも

オープニングが、めちゃくちゃカッコよかった。わくわくした。

 

映像と音楽の融合。バチーッ!と合わさった時のゾクゾク感。

それにオープニングがカッコいいドラマは良いドラマと相場が決まってるんです。

 

実際、エルピスの音楽は私の期待を大きく上回っていて

オープニングは鳥肌が立つほどカッコよかった。

何度も巻き戻しては再生した。

痺れた。

 

しかしこのドラマの素晴らしさは、これだけではなかった。

 

まず岸本拓朗役・眞栄田郷敦さん。

彼、本当に素晴らしかったですね…

何ですかあの華は。演技してるの初めて観たのですが存在感どんどん出してくるしキャラは魅力的だし。

最初は、ただ顔が良いだけのお坊ちゃん薄っぺら業界人だったのが

闇堕ち覚醒してオーラまといだして

その変わりようがもう凄すぎて、とても惹き込まれてしまった。

 

斎藤正一役の鈴木亮平さんも、

いる!こういう人いる!(見た目爽やかで頭の回転早くて仕事出来て性欲強そうで野心家で無慈悲)て感じで、とても怖くて、とても良かった。

恵那を止めに来た時のあの説得力、あり過ぎて引いたね…政治家の申し子…

 

 

これまた超個人的に、今まで長澤まさみは「演技が巧いのか下手なのかよくわからないけどとにかく可愛い」枠の人だった(あまり作品を観たことがないので…)。

その彼女もまた、作中のキャラクターを真摯に演じきった(顔色悪い!クマ、シワも隠さない!!)

ドスのきいた声で「何で殺されなきゃいけないのよ!」と岸本に言い放った恵那は、泣けた。

 

かつての恋人、斎藤との対峙にも決して怯まず屈さず、負けなかった。めちゃくちゃかっこよかった。

(興奮しながら岸本からビデオ受け取ってハグしてビンタしたの吹いた)

もう斎藤の話し方が完全に政治家。約束してるようでしてない。フワッとしたこと言ってるのに、印象はちゃんと約束したみたいな空気出す。怖い!!

結局、麻生…じゃなくて大門の事件は報じられず、

代わりに八頭尾山殺人事件を報じることを了承させた恵那は、勝ったのだ。絶対に。力技で押し通すのではなく戦い方を変えて、勝った。

 

 

脇を固める役者さんたちのことも言いたい。

大人計画の池津さん、最高なんだよな。

公園さんの長いものに巻かれプロデューサー役も似合ってた。

松尾ちゃんもあんなふうに伏線回収し(この言葉あんまり好きではないのだが他に何て言えば?)再登場した時は思わず自分も岸本の気持ちになっちゃって、ちょっと感動した。

三浦透子さん、三浦貴大さんらも演技力抜群で役にハマってて安心して観ていられた。

(チェリーさんに関してはなんか裏切ってたりどんでん返ししてくるのではと疑っていた。エンディングがそんな感じしたので…普通の良い子だった)

 

エルピスの裏主役、村井さん(岡部たかし)は第1話からあの長澤まさみに「ババア」と言い放ち、岸本たちスタッフには暴力暴言の嵐で、絵に描いたような嫌なやつ、悪役だった。この役者どんな気持ちで言ってんだろう…と私を心配させたのだが

回を追うごとにどんどん人間味増して今やネット上で一番人気なのではと思うほど評価が真逆になった人物である。

 

大盛り牛丼をかっくらう恵那と岸本(なんて美味そうに食べるんだ郷敦)の元に村井さんがやってきた時の、2人のあの笑顔は

小さい子どもが完全に安心している、心を許している人へのそれと重なる。

人間を一言では語れない。恵那は村井さんから報道の正しさを学び、岸本は社会を、人生を教わった。

 

恵那も岸本も過去の失敗や罪悪感から強い正義感を持つ人間になったのなら、村井さんのそれは、一体何が生み出したんだろう。それとも生まれ持ったものだとしたら、村井さん、ヒーローじゃんか。

村井さんという人の厚みを毎回よく想像させられた。

岡部たかしCMが決まると思う。

 

 

 

エルピスは、政治や報道がテーマの海外ドラマと比べれば別に革新的ではないという人もいる。

 

昨今のまるで機能していない国の無茶苦茶なやり方に忖度だらけの報道。

目に見えているものだけが全てではない、与えられる情報がすべて正しいとも限らない。

私たちはそれを踏まえて、自分で知識を蓄え何を信じるべきかを慎重に選び、深く考え、そして行動しなくてはならないのだ。権力に対して違和感、怒りを覚えることは決して間違いなんかじゃない。そしてそれを声にするべきなんだと、当たり前と言えば当たり前なことを、けれど私たちが失いつつあるかもしれないーー心の中で一番大切なものーーを

このドラマが、諦めず必死に、力強く示してくれたこと。

あれだけの役者とスタッフを揃えエンタメとして丁寧にめちゃくちゃ面白い作品にしてくれたこと。

 

 

ドラマ好きな人からすれば、私の見方は極狭だろう。

でも、エルピスは「それでいい」と言ってくれるドラマだった。

どんな風に観ても良いから、どんな感想でも良いから、とりあえず観て。と。

 

この人たちが作るなら間違いなく面白いはず、

そう思って観始めて、最後まで観て、良かったと思える「信頼」。

日本でもこんな面白いドラマが作れるんだ!という「希望」。

 

最終回を観てこんなに満足したのは久々でした。

ありがとうございました。

 

 

『最愛』最終回は終わらない

TBSドラマ『最愛』が終わりましたね。終わっちゃいましたね。



・最終回について
(以下ネタバレしてます)










加瀬(井浦新)が事件に何ひとつ絡んでなかったら「そりゃないだろ!」と言ってただろう。

井浦新が良い人なだけで終わるわけがない。
3つの事件のどれかには絶対関わってるはずと信じていたので、
この結末には「だよね」という気持ちと
いや15年前の台風の夜からなんかい…そんで事件全部やったん…
という納得と戸惑いが半々だった。






あそこまでする?

お世話になってる梓(薬師丸ひろ子)の元夫と子ども達のこと、あそこまで人生かけて尽くせるもの?
と、ちょっと置いてかれてしまったところがある。

常々、梓が「加瀬くんも家族」と言っていたことや
加瀬自身も梨央に「家族と思ってる」と発言していたこと、
話数を重ねるごとに真田家に対する加瀬の献身的な仕事っぷりも
これでもかと見せつけられてきた。
よって、真田家と加瀬の信頼関係の厚さは理解できるものの
それにしたって、である。

優(高橋史哉)が逮捕され加瀬が弁護してた時もそう。
「なんでそこまですんの?何か明るみにされたくない秘密があるんじゃ?」
と、よぎった人は少なくないはず。

これらの腑に落ちなさは、加瀬という人物の背景が不明瞭だったことに要因がある。

加瀬に家族はいない。
幼い頃に亡くした、という説明セリフがあるのみで細かなエピソードはなかった。
弁護士になった理由も
「近所に弁護士のおじさんがいて、みんなの相談に乗ったりしてたのを見て自分も人の役に立つ仕事がしたいと思った」
と、これもこのセリフのみで、ほかにエピソードは特になかったと記憶している。


達雄(三石研)に対し「あんなに家族を想う人を僕は知りません」と、敬意を持つほど肩入れしているのも何故なのかよくわからない。
あの台風の日の達雄のあの言葉だけで、死体埋めるの手伝える?梓の代理で達雄と定期的に連絡したり会ったりしていたとして、以前から達雄に父親像を投影していた?好感を持っていた?単に真田家に関わる人物だから?もしかして達雄が加瀬の本当のお父さん?


観ている私たちは、この事件に加担したのは加瀬の生い立ちが起因するとは理解している。
というか、情報としてただ知っている程度なのだ。

その生い立ちが彼の人生にどう影響したのか、どうやって加瀬という人物が形成されてきたのか、今の彼が何故、これほどまでに真田家を守ろうと必死なのか、すべてが想像するしかないのである。

なので
「達雄の想いに胸打たれて、そりゃ死体埋めるの手伝っちゃうよね…泣」
とまでは、どうしても気持ちが追いつけないのだ。わからないことが多すぎて。


大企業の顧問弁護士をするほど仕事のできる沈着冷静で頭の回転が速く賢い加瀬が死体遺棄及び証拠隠滅を手伝うわけだから
よほどのことでなければならない。

あの台風の夜、父親の愛を目の当たりにして
己の人生を捨てても
「役に立ちたい」
と心が変化してしまった瞬間。
あの時から、加瀬はまさに全身全霊をかけて真田家の人間を守ることになるのである。
そうなるまでの、加瀬の心理描写がもう少し表現されても良かったのでは。というか知りたすぎる。

犯罪に加担し自らも殺人を犯すほど守りたい「最愛」への熱情は、
このドラマで最も表現したい大事な核となるものである。
なので、納得させて欲しかった。



そもそも初めから加瀬という男の人となりが掴めなかったので当然の結果と言えばそうだTwitter見るとそんなこと言ってる人いなかった。読解力の問題かもしれない)。
後藤さん(及川光博)のほうが、やった事のわかりやすさもあって、よっぽど理解できた。


梓のこともよく分からなかった。
最初から最後までいつもニコニコしていて、何を考えてるかわからない、優しいようで冷たいような印象。観ている側に「何かある」と思わせるための演出だろうけど。
会社と家族を守るために自ら謝罪会見した時はTwitterでも好意的な意見感想ばかりが見受けられた。
しかし最後の最後(後藤さんが面会に来たシーン)までも、何か裏があるのでは?と期待していた自分は、本当にただ己の性格の悪さを再確認する結果に終わった。
(刑務所でも尚ニコニコする梓に、ゾッとするようなセリフを言って欲しかった)



藤井(岡山天音)という男についても書かなくてはならない。

藤井、あんな使い方で、合ってた…?
最初から「藤井は怪しい」と観ている全員から思われてた藤井。
怪しさ満点。謎満点。怖さ満点。
これも岡山天音さんの演技が素晴らしいからです。彼が画面に現れるだけで空気が変わる。

結局、藤井の最愛は陸上部だったのだが
藤井に対する制作側の考えと観ている側の期待にズレがあったのは否めないと思う。

藤井をあれだけ露骨に怪しい、事件に関与してそうと思わせる描写がいくつもあった上に、あの岡山天音であるから(Twitterでは達雄の葬儀で藤井が足を引きずっていたのは事件と関係あるのでは?と見つけた方もいた。凄すぎる)
間違いなく物語に深く関わっているはず、そうであってほしいと思わせたのは間違いない。

観ている側は、藤井に、狂った愛とか猟奇的な奴とか、そういう役割を期待したし(岡山天音にやってほしい…)

逆に
「怪しいと思ってたけど犯人じゃなかったー!藤井にはそういう理由があったのかー!」などと膝を打つくらいの衝撃的な真相が明かされないと、怪しさ120%と相殺されない。

たしかに藤井の個人的な捜査のおかげで事件が大きく進展したので役割としてはかなり重要なのは間違いないけれど
これじゃない…肩透かし感がすごかった。
なんか最後もフェードアウトだったし。



色々書いたものの、
あの登場人物の多さと複雑なストーリーを
限られた話数で完結させるには相当な努力と困難があったことは容易に想像できる。
本当に楽しませてもらいました。ありがとうございましたと言いたい。
最後に、
あのスケールで全9話は短すぎる!どう考えても12話!


コロナ禍の閉塞感が続く生活の中
わくわくドキドキしながら毎週楽しみにしていた今季唯一のドラマでした。
Twitterでは色んな人の考察を見まくったし、
金曜の夜は興奮しすぎて布団に入ってもなかなか寝付けなかった。
最愛のこと考えるの楽しかったなあ。
ブログ書くために、Twitterで最終回考察読むの我慢してました。私の最愛はまだ終わらない。

(このドラマを語る時、同じ製作陣の『Nのために』が引き合いにされますが私は圧倒的に『眠れる森』(フジテレビで1998年10月〜12月木曜10時から放送されたいたサスペンスドラマ。木村拓哉主演)を思い出していました。あれもかなり面白かった)


あの夏のルカを観て

『あの夏のルカ』を観た。


コロナ禍で新作映画を配信するという形を固め始めたディズニー。あの美しい映像を、映画館で観たかったな〜と思う(太陽の光ヤバい)


以下はネタバレしてます↓





主人公は海に住む魚人の少年、ルカ。

陸に住む人々からはシー・モンスターと呼ばれ災いが起こる存在だと忌み嫌われていた。

ルカは陸の世界に興味津々で、そのことで母親からいつも厳しく注意されている。

もう1人の主人公は、父親に育児放棄され、孤独な生活を強いられても理想のベスパを造るという素晴らしい夢を持ち続ける少年アルベルト。彼もシー・モンスター。

最後は寄宿学校に通い帰省中のジュリア・マルコヴェルト。トライアスロンレースで優勝を目指している人間の女の子で周囲からは変わり者だと思われている。


何やかんやあって3人は共にレースに出ることになり、優勝を目指す物語。



最終的にはハッピーエンドと言いたいんだろう。

結末にモヤ〜ッとしたのは私だけだろうか。


シー・モンスターであることが陸の上ではハンデだった。だけど周囲に飛び込むことで理解を得られ、結果、希望していた道に進むことができた。ルカだけは。


ルカだけは、何故か進学できるのである(しかもアルベルトのベスパを売ったお金で汽車の切符を買って!)


子どもの頃からディズニー映画の殆どを観てきたと思う。

あれから私は大人になり、親になり、子どもと一緒にディズニー映画を観るようになった。

子どもの頃の私がこの映画を観たなら、どんな気持ちになるだろうか。単純に友情物語として感動してた可能性が高い。今は全く違う感想だ。この物語は子どもにとって大事なことを伝えてきれてない。


アルベルト、彼のような子どもにこそ、教育が必要なのではないか。

もちろん独学だっていい。あの島でだって勉強をしようと思えば出来るかもしれない。子どもいっぱいいるし学校もあるんだろう。


親目線だから「あれだけお金がないと学校に行けないって言ってたのに学費は誰が払ったん…?」とか即座に浮かんでくる。

そんな理由からも、ルカだけが希望した進学の道を選べてしまうのは、どうしても違和感が残る。

賢いから特待生で入った、とか

お金がなくても奨学金で入れる、とか

そういうとこ、ちゃんとやるべきじゃない?

だからアルベルトのような境遇でも教育が受けられるんだよ!て。

子どもが見る映画だからこそ。

子どもは、ちゃんとわかるよ。理解するよ。



教育は未来。

ディズニー映画には、そこをきちんと示してほしかった。


始めの方にも書いたけど映像は死ぬほど綺麗でした。うちの古いテレビで観ても綺麗でびっくりした。


あと最近のディズニー映画を観て毎回思うのは

日本語版エンディング曲、本っ当に要らん。いつから始まったあのシステム。アナ雪?

あれで興醒めする。やめた方がいいです。声を大にしてして言いたい。




大豆田とわ子と三人の元夫・第6話の感想

放心してたら2週間経っていた。


驚き、否定、悲しみ、疑問、怒り、悲しみ、という順に感情が色々やってきて、

今の感じはよくわからない。



冒頭は舞台劇を観てるみたいだった。

途中、場面は変わるけどずっと同じ人たちが出続ける会話劇。


行方不明になったとわ子を探すのはわかるが、とわ子の家で餃子パーティーをするのはマジで意味がわからなくて本気でイライラしてしまった。本人不在だぞ?正気か?(踊らされる視聴者)


あの女三人、怖すぎ。酷かったね〜。

彼女たちの立場になれば、気持ちわか…るかと思ったけどマジで全然わかんなかったです。


あの、鹿太郎と慎森て、そこまで酷いかな?

八作(松田龍平)が言われるのはわかる

(あの子の立場でそれ言うか?とは思うけど)。


小谷翼(石橋菜津美)にボロカス言われた慎森(岡田将生)。

ショックを受けても冷静に反省し自分のこと客観視できるのは間違いなく素晴らしい人となりである。


「ぼくたちは大豆田とわ子に甘えてたんです」


この手法すごいと思った。

大抵のドラマが本人達に語らせるか回想を挟むところ、このドラマは圧倒的にそれが少ない。餃子パーティーの場合、まったく関係ない第三者たちの存在が、大豆田とわ子という人物の輪郭をハッキリさせるし

その他のシーンの会話の中でも、とわ子と三人の元夫それぞれの過去を浮き彫りにさせてきている。




かごめ(市川実日子)が、死んでしまった。

何度でも言うが完全に踊らされてる視聴者なので八作(松田龍平)が病院に着いたとき、とわ子が怪我でもしたのかな?と思ったら

かごめちゃんが死んだて……嘘でしょ……


唐突すぎない?

今思えば、すべてフラグだったよ?

でも今思えば、よ!気づかないよ!全然!!

これもだ。大抵のドラマでは「なんかこのキャラ死にそうだな…」と多かれ少なかれ気づかせるんだよ絶対。

無かったよ。全くわからなかったよ。


そして葬式が終わるまでが異常なほどサラッと、淡々としてんのよ。ポップなBGM流してさ。

最後までかごめちゃんの姿は一切見せず。

従来のドラマと、違いすぎるだろ。


それで気づくんだけど、

今それを私が意識してないだけで、人はいきなり死ぬ。

あと現実で人が死ぬと葬式の手配とか準備ってマジで忙しすぎて悲しむ暇なんかない。スピード勝負だし、選んで決めなきゃいけないことが山程あってその目まぐるしさで「いま誰のお葬式してんだっけ?」て一瞬わかんなくなるくらい慌ただしさと混乱の中で一大事が過ぎていく(ほんと葬式っておかしい仕組みだ)。

すべてが滞りなく済むと、亡くなった人の余韻を感じるのはそれからだろう。

一人でその人が描いた漫画の原稿見ながら。


リアリティーの無さ(ex.餃子パーティー)と

現実突きつけてくるこのバランス。


そして1年後(!)、新たに登場したのがオダギリジョーですよ。

第二章の始まり。人生は進む。


でも、やっぱり寂しいよ。かごめちゃん。


5月に思ったこと

4月から5月にかけての寒くもないし暑くもない季節が大好きなのに、今年は一瞬で終わってしまった。寂しさと異常さを感じる。

このまま四季が消えてしまわないよう、人間に出来ることは最早無いんだろうな。ただそのスピードを緩める努力は微力ながらずっとしていこう。やれることはある。



季節ごとに聴きたくなる曲は沢山あるけど

この季節に聴きたくなるのはスピッツだった。


昔も今も『運命の人』が好きで

今聴くと『渚』も『楓』も、子どもの頃には気づけなかった良さにハッとする。


私がもっとも聴くことが多いのは『正夢』だ。



【跳ねた髪のまま 飛び出した 今朝の夢の残り抱いて 

冷たい風 身体に受けて どんどん商店街を駆け抜けていく】



いいよね〜。この始まり。

冷たい風、が、いつ頃の季節を指してるか分からない(リリースが11月なので恐らく冬と思われる)けど、

私は春の、肌寒い朝を想像するんです。

日は昇ってるけど、人気のない、まだ今日が始まってないくらいの朝。大好き。


【どうか正夢 君と会えたら 何から話そう

笑ってほしい】

ここで何故かいつも、飼ってた猫を思い出す。

歳とってだんだん弱ってきて、何もしてやれなかった後悔と

本当は、もっと長生きしてたかもしれない。

今も生きてたかもしれない。触りたい。


今日も、車の中で聴いた。

車内も自分も湿気でベタベタして、窓開けたら前を走るトラックの排気ガスに鼻がもげそうになった。


なんとなく、人の悪意に触れてしまい

いつもなら気にしないことに小さく苛立ち

噛み合わない会話と

優しさの押し付け、はっきりしない態度に

気が付かないふりをするけど、塵のように積もっていくから(こういう時の連鎖って何なんだ)なかなか消せない。


ここに居たくないこと、嫌な気持ちになったこと、悲しかったこと、すべてに

【なんか 無理矢理にフタをしめた】

溢れて出てしまった。



【どうか正夢 君と会えたら

打ち明けてみたい 裏側まで

愛は必ず 最後に勝つだろう

そうゆうことにして 生きてゆける】



それにしてもマサムネの声ってすごいね…

あんな風に歌える人いないじゃん…

(大人になってから気づくことが多すぎる)


大豆田とわ子と三人の元夫・第5話の感想

このスピード感。

これまでの回と明らかに異なるテンポで話が進んだ第5話。

坂元脚本、いつもこうだよ(私がフル視聴済みなのは『問題の多いレストラン』と『カルテット』)。

知ってるはずなのに、まんまと毎回びっくりして心掴まれる。



前話で三角関係を明らかにしてからの、三人揃うシーンは巧かった。

それぞれが、それぞれの気持ちに気づいているのか、そうでないのかが

観ている我々には判断しきれない(今までそれを確実にする描写はなかったと思う)。

ハラハラしっぱなしである。

これ気付いてるよね⁈ていう匂わせシーンはたくさん散りばめられてるし。


かごめ(市川実日子)といる時の八作(松田龍平)明らかにテンション違うじゃん!やだもう!

かごめの靴下に穴が開いているのに気づくと

とわ子の誕生日が近づく中、とわ子に靴下を二足プレゼントする八作の無神経さよ。

八作、不器用なの?それともとわ子に渡せばかごめに届くかもって計算なの?計算だとしてもそんなことする?なんか様子おかしくない?

周囲の人間に対する優しさ(誰にも優しいとは誰にも優しくないということです)、愛され力を見るからに決してやらかしそうにない八作が、かごめの事となると人が変わったように感情優先、剥き出しな振る舞いをする。



とわ子の会社の取引相手・門谷(谷中敦)登場。

あの業界の社長に恨みでもあるのか坂元裕二

谷中さんが役をやり切ってて、非常に面白かった。演じてる本人も楽しそう。次週も出るっぽいので楽しみ。


職場で、とわ子と門谷のやりとりを気にする(仕事だよ)慎森(岡田将生)の嫉妬深さは異常なのに、微笑ましく感じてしまうのは岡田将生の顔面且つ清潔感9割と慎森の根底にある人間性のおかげ。それも自分が心を許した人にだけ向けられる優しさ。

前回、慎森に「私のこと覚えてますか?」などと謎めいた言葉を残していた小谷翼(石橋菜津美)が、実は慎森の生活拠点であるビジネスホテルの清掃員であることが判明した。

毎日顔を合わせていた彼女のことを自分が全く認識していなかったことに呆然とする慎森。

庇うわけではないが慎森の場合はホテルスタッフや店員さんと目を合わせるのが苦手というパターンでは。

しかし彼女は仕事で毎日顔合わせてる客に無視されてたからあんなこと仕掛けたってことなら、ちょっと強引である。そもそも小谷翼は好意でやったのか?だとしたら慎森も顔負けのストーカー気質。次週も登場するし、まだ何か意図があるのだろうか。

石橋菜津美さん、綺麗でお芝居上手)



とわ子は門谷に無茶苦茶な論理で侮辱され、消耗してしまい何とかネットショッピングで気を紛らわそうとするも八作の店へと赴く。

とわ子、弱ってる時に頼るのが八作なのかよ……。


門谷の話に憤慨する八作(こういうとこな…)に戸惑いつつ、

離婚した当時のことを話題にし始めるとわ子。


このシーン、泣いてしまった。

とわ子の想いが、観ていてしんどくなるほど伝わり辛かった。

八作の優しさ、気遣いは昔から今でも変わらない。そのことも、とわ子を思うと目を覆いたくなるほど苦しい。


夫の心には自分以外の誰かがいる。

自分は愛する人に選ばれたわけではなかった(いや八作としては選んでいるつもりなんだけど)、そう気づいてしまった時

はっきり言って見ないふりして蓋したい。

夫は隠し通せてるつもりだし、自分にとって最愛の夫だよ。


だからこそ、家族に対し真摯に向き合いたいと思ったのではないだろうか。また夫にもそうであってほしいと願ったのかもしれない。それが家族全員にとって、辛く悲しく、傷つくことであっても。「若かったんだよ。許せなかったんだよ」と言ってたけど、本当を大切にしている人はそれだけじゃ物事を決めない。

それにしても離婚時には「勘のいい」とわ子も、八作の片想い相手がかごめだとまでは気が付かなかったというから、まだまだこれから過去の物語が語られるんだろう。つらい。けど観たい。観る。



とわ子の誕生日を祝う動画を撮ることにした唄と元夫たち。

仕事のことを交えながらメッセージを伝える慎森と鹿太郎に対して

「大豆田とわ子はずっと最高です」とだけ言い切る八作。


そうなんだよ。こういう人なんだよ。八作は。言葉のチョイスが抜群で相手の欲しい言葉を無意識に言えるんだよ!いやんなるね!!



もうこのまま、今の距離感で、とわ子と唄とかごめと三人の元夫で、生きていったらいいのに。て思ってたら猛スピードでしんどい展開になってしまった。


鹿太郎(東京03角田晃広)のことは長くなるので、別で書こうと思います。

角ちゃんいいよね。

大豆田とわ子と三人の元夫・第4話を観たら

市川実日子のあまりの可愛さに気が遠くなったり、坂元裕二松田龍平に片想いをさせるのが好きだなとか思いながら

ドラマ後半の、かごめ(市川実日子)の台詞に

ウワーっと頭を抱えたくなった。


『恋愛になるのが残念でならない』


誰も共感してくれなかった学生時代の自分に教えたい。

ちょっとー!!ここにいるよー!共感してくれる人が!


ちょっと泣きそうになった。



けれど私は昔も今も、かごめのような純粋さも覚悟も才能もなかったので

騙し騙し生きてきた結果、なぜか結婚したいと言う人が現れてそのまま結婚してしまった。


今週の大豆田とわ子と三人の元夫は

これまでの面白さに加えて坂元裕二がぶっ刺してきた。本領発揮してきた。


第4話を3回観てから

キリンジの楽曲「それもきっとしあわせ」を思い出した。

最初に聴いたのは鈴木あみに提供したそれだったのだが彼女の声で


『好きな人がいて 愛されたのなら

それもきっと 幸せ』


それもきっと、と歌うのに不穏さを感じたのは私だけだろうか。

不穏というか、居ても立っても居られないような気分にさせられた。


「結婚できただけいいじゃん」

「それは愛されてる証拠だよ」

「やさしい旦那さんだね」


結婚生活を聞かれて周囲の人がそう言うたびに悔しくて

夫の愚痴を言いまくってドン引きさせるようになってしまった。

最初は日頃の夫へのイライラを吐き出せてスッキリしていたが、そのうち不毛で自己満足、人に聞かせる話ではないと気付いて反省し言わなくなった。


好きな人がいて、その人に愛されたら即ハッピーエンドではないというのはとっくに理解してる。

この曲を作った堀込の言いたいことはそこじゃない。


『歌いたい歌がある わたしには描きたい明日がある そのためになら そのためになら

不幸になっても かまわない』


冒頭の歌詞のように恋愛をしていることも

夢を持ってそのために1人でいることも肯定している。


私には、お前はそのどちらの覚悟もないね、と言い当てられたようだった。

決して恋愛と仕事の二極化ではない。

自分にとって幸せとは何か、

生きていくのに、信念があるか。

そしてそれを貫く覚悟の問題である。


結婚したいと思ったことなんか人生で一度もなかったのに

1人で生きていく覚悟がないから結婚し

結婚してくれた相手の愚痴を言いふらし

一体なにがしたいんだよお前は。

過去の自分にそう言いたくなってしまう。


八作(松田龍平)は、かごめ(市川実日子)に片思いし続けると決めている。

かごめは、好きな人を作らないと決めている。


タイプの人が現れたら、気持ちは動く。

けれど心は決めている。


かごめは、目に見えない大切なものを

きちんと自分の手で持ち、一度も離すことなく生きてきたのだと思う。

人と同じように出来ないことを悩んだり傷ついたりしながら、また新たな道を模索したりしながら、真剣に生きてきた。

だから覚悟を決められた。


ふわふわと生きてきた私にでさえ、

夢中になったり、没頭したりすることが

かつては、確かに、あった。

それらを一体いつ手放したんだろう?


自分の中の、決して譲れない大切にしたいものを大切にすべきだとわかっていて

しっかりと持ちながら大切にしている人は

この世にどれだけいるんだろう。


そのためになら、不幸になってもかまわない。


そう言える人になりたい。それは今からでも決して遅くはないはずだ。


それにしても動く市川実日子が観られるだけでこのドラマを観る価値は充分にあります。

個人的にアンナチュラル(TBS)の時よりずっと好きだ。素晴らしくハマってると思う。

今後もたくさん登場しますように。