『監察医 朝顔』第17話の感想

相変わらず間延びがちな監察医シーンには集中力を欠いてしまう。

干しっぱなしの洗濯物を畳みながら、散らかった部屋を片付けながらの鑑賞。



以下ネタバレしています







今回の事件は子どもが被害者と予告で知ってから正直観る気が起きず

なかなか観ることができずにいた。




事故で亡くなった赤ちゃんのお母さん役、モデルさんなんですね(顔の小ささ!)。演技が印象的でした。


もう一件は虐待で子を死なせた母親が

子の遺体をスマホのカメラで撮り、後にSNSにその写真を子を慈しむ文章と共にあげていたことが判明。


若い頃の自分なら、こんなことする親いるか…?て思ったと思う。

それこそフィクションだと思ってた。

でも、いる。現実にいる。

やはりしんどいので、少し飛ばしながら観ました。




今回も待ってました三郎。じゃない平(時任三郎)。


平は自分の記憶が、どんどん曖昧になっていくことに焦りを感じている。


突然、妻(石田ひかり)の遺骨の一部が見つかったと青森県警から連絡が入る。

懸命にメモを取る平。数時間後に朝顔上野樹里)たちが帰宅すると、なぜか玄関先で平が呆然と立ち尽くしている。朝顔は一瞬戸惑う。


「お父さん、大事な電話だったのに、覚えてないんだ」


朝顔にメモを渡す平。

メモには名前と電話番号が記してあった。



この、電話を受けてからの数時間(と思われる)

平に一体何があったんだろうと私は想像する。


平にとって妻の遺骨が見つかったことは

驚き、戸惑い、安堵、寂しさ…言い尽くせないような様々な感情が湧き出たであろうことは想像に難くない。


けれど、それもすぐに忘れてしまう。


自分の意思ではどうにもならない残酷な現実ばかりの中で

必死にそれらと向き合わなければならないのだ。


その平の心情や行動を、もっと観たいんですよ。もう私の中では完全に主人公は平なので。

観てる方も辛いんだけど、でも目が離せないんだよ。見たい。




それにしても

柄本明の演技、演技じゃない。

入院してるおじいちゃんて、本当にあんな感じだった。凄いな。


だから最後にあんなシーン、要らなかったよね。なんであんな演出を許した?


このドラマは真摯に作ってるのが伝わってくるから余計に残念に思う。


役者が最高なんだから、余計な味付けは要らないってことに早く気づいて!

充分すぎるほどに伝わってるから。




あとこれ毎回思うんだけど

子どもが居る空間で、大人だけで会話することってほぼ出来ないから。

今回で言うと、家で朝顔と平が青森県警に行こうと話してるシーン。



朝顔「お母さんの遺骨の一部が見つかったんだって。明日青森に行」

つぐみ「え!どこ行くの?つぐみも行きたい!ねえお母さんて、ばあば?ばあばのこと?見つかったの?なにが?それつぐみも見られる?」

と、大抵の子どもはカットインしてくる。


つぐみくらいの年齢と性格、

家庭環境(一人っ子で大人に囲まれている)なら尚更、会話に首突っ込んでくると思うんだけどな。


話の筋と関係ない、どうでもいい事なんだけど

こういう部分にリアリティを求めたくなってしまう。

ワンダビジョン最終回によせて

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ワンダビジョン最終回。


今日まで楽しみと不安の入り混じる一週間だった。



ネタバレしてます









期待していた結末

・とにかくビジョンが生き返る

・とにかくワンダが幸せ

幸せとまではいかなくても心穏やか



不安

・ワンダが現実と向き合うが孤独すぎる

・2に続く




結果、期待は期待のまま終わり

不安は的中した。

2に続くのは、マーベルだもの、言わずもがなですよね。ですよね。そうですよね。


でも裏切ってほしかったわけ!

そこ絶対裏切らないんだねマーベルは!



内容に関して過去のマーベル映画を全部観てる人や

コミックを読んでるファンは納得の結末なのだろうか。

私はちっとも納得できず、理解できず、

観終わった今、非常にモヤモヤしている。


結末が自分の予想に反したからではなく、

物語の終わりとして(終わりにする気がないにしても)ちょっと雑ではなかったか。

まあそこはマーベルだから…と、思えないのだ、今回だけは。



ワンダは間違っても幸せそうではなく

(あんな位置から幸せになるのも無理あるけど、せめて納得させてあげて欲しかったよ)

ビジョンは生き返らなかった。

しかも途中で期待させるような展開したよね?!最後も復活してくれるようなセリフ言わせて匂わすし!


子どもたちが完全にワンダの作り出したものだとしても(コミックでは実在するらしい)

ビジョンは2人になった時点で何とかなりそうじゃなかった?

あと2人になってからの展開に全くついていけませんでした。

もうひとり、どこ行ったの?




どこかの美しい自然に囲まれた山小屋で

ひとりコーヒーを淹れるワンダ。


愛する家族は消えてしまった。

現実を生きると決めた(ウェストビューを元に戻したという意味で)ワンダは結局、

自身の力を受け入れたのだろか?


図らずも今まで以上に強力な力を手に入れて、

ワンダは何をしようとしているのか。


彼女がもし心を捨てたとのだとしたら、

ウェストビューを自分の世界にした日から何一つ変わっていないことになってしまうのではないか。


全体的にワンダの心理描写も足りないように思う。

ラストのラストシーンでは、自暴自棄のようにも見えた。



私は、ワンダとビジョンが、

本当に愛し合っててお互いを尊重してて

とても好きなんですよ。

だからあの永遠に続くかのような

蛇の生殺し設定は、辛すぎる。


マーベルの、複雑なようで大味な(褒めてます)脚本の力技であの2人を幸せにしてほしかった。

それがたとえ別々の世界だとしても。



マーベルは、マーベルは、

ワンダをとことん不幸にしたいのか?




それは、2でわかる…
と思わせて3までやる…の…?
やるんだろうね…きっとね…


『監察医 朝顔』第15話の感想

今回も三郎が良かった。


もうそれしか浮かんでこない。

(今、スマホの予測変換に[勝たん]て出てきてビックリした。一度も使ったことないんですけど)




平が善良な人であればあるほど

見ているこちらは進行するであろう症状に怯えてしまうし、病気が憎い。


新年が明け、朝は毎日「今日は何日?」と確認する平。

つぐみにお年玉を3回もあげてしまう平。


親戚の集まりや飲み会も、本人は全然楽しめないだろう。絶対しんどい。


本来なら楽しいはずだったのだ。

しかし今は違う。

自分が何か失態をしてしまわないだろうか、皆んなが異変に気付いてその場を自分が変な空気にしてしまったら、

迷惑をかけてしまったら。


飲み会では明るく振る舞い、桑原に頼んで予定のあるフリをして足早に去る。



責任感の強い平は何かにつけて

「ごめん」を多用してしまう。

「もうそういうのいいじゃないですか」

と桑原は言う。

「お父さんがぼくを忘れても、ぼくがお父さんを忘れませんから」



完璧な人などいない。

人は矛盾だらけだ。忘れたっていいのだ。

生きてるのは今なんだから。


チラシの裏紙を使ってメモを取る平は

決して生きることを諦めていないはずだ。




個人的に、あの『ごめんばこ』は全く要らなかった(罰金千円高すぎるし)。

しかも「そのお金で旅行でも行きましょう」

も、笑えなかった。

や、ジョークなんでしょ、わかります。

わかりますけど。

なんでだろう。つまんなかったよね。醒めたんだあそこで。

他の人が言ってたら違ったな。


そもそも桑原というキャラクターと

風間俊介という人が

合いすぎているために嘘臭くなってしまっているのだ。


風間俊介は頑張ってると思う。

しかしフジテレビ『それでも、生きていく』での演技は語り継がれるべきものだし(大竹しのぶさんとの乱闘シーン忘れられない)

TBS『3年B組金八先生』でも、難しい役を演じて当時話題になった。

なのでこのドラマでの彼は、見ていて少し勿体無いなと思ってしまう。



先週の時任三郎大竹しのぶ柄本明という最高黄金トリオが良すぎたので

今週は観るのに結構努力した。

それにしても凄いな、つぐみは…という感想は今週も忘れない。

(間の取り方とか絶妙だと思うんだが)

『ワンダビジョン』ウェストビューは私たちのいる世界だ

ディズニープラスで毎週金曜に配信されている『ワンダビジョン』を観ている。


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ざわつかせるビジュアル



以下ネタバレしています









第1話では、周囲に特殊能力を隠しながら新婚生活を送るワンダとビジョンのシットコム


奥様は魔女』なドタバタコメディで、

ご丁寧にCMまである(分かる人には分かる意味深な内容の)。

そして何故か最後に誰かがそのシットコムを(放送している?)観ている描写が映され第1話は終了。


マーベル素人の私には、この初回から違和感だらけであった。

え、なんで死んだビジョンが生きてるの?

しかもシットコム

まさかこれがやりたかっただけなの…かな…?


しかしマーベルはそんな生易しくなかった(当然)。


このシットコムは不穏な空気をまとっている。

話ごとに時代設定がバラバラだったり

モノクロだったのがカラーになったりする。

このシットコムを「演じてる」体で話しかけてくる隣人とか、

時系列無視のストーリー展開など、視聴者を置いてけぼりにする不穏さ。


楽しくドタバタコメディしてると思ってたのに、なんか変だよね?何が起こってるの?と観ていて落ち着かない。


様々な違和感を、謎を、マーベルが回を追うごとにどんどん明かしては新たにチラつかせてくる。

非常に入り組んだストーリーなので毎話終わるごとに「どうゆーこと?」と思わず口に出して言ってしまう。


何が何だかわからない。でも何かが起こっている。わかるまで、一瞬も見逃せない(そしてわかった時には驚かされたり更に戸惑ったりする)。


2月19日配信の最新話では

シットコムの世界を操っていたのは

実はワンダではないのでは…?

隣人で何かと世話を焼いてくれるあのアグネスが、黒幕なん…?

(ここ、ファンならもっと楽しめたんだろうな〜。それにしても犬…ワンコは…やめてほしかったよ…)


このワンダビジョンで最も驚かされるのは、9話完結なこと。

もう7話だよ?ほんとに大丈夫?



マーベルファンなら初回から眼を光らせて観ていただろうし、ある程度の予測も立てられたんだろうけど

私はマーベル素人なので、深まる謎にただ戸惑いながら観ていることの方が多い。

それでもワンダビジョンは面白い。


そもそも個人的にアベンジャーズの時からワンダとビジョンが好きなのと

ドラマとは思えないスケールのデカさ!

画面の派手さ!ワクワクする!

やっぱアメリカはエンタメへのお金の掛け方ハンパないよね最高!


SNSで見られるマーベルファンの方々の感想や推理もまた楽しいです。

勉強になります。ありがとうございます。



このシットコム世界はワンダが作ったという結論に至った回(最新話では、どうやらワンダの力だけではないということが判明した)では

そんな悲しいことある?しか私の頭にはなかった。

たしか製作者のコメントか何かで

「ワンダはアベンジャーズの中でも一番辛い目に遭ったからその後が気になってこの作品を作った」みたいな(うろ覚えです)

こと言ってたし、

どうか、どうかワンダに救いのある結末にしてほしい。

あの子には幸せになってほしい。

あと、これだけ色んなことができるマーベル世界、どうにかビジョン復活していいじゃん…?

だめですかね…(とにかくビジョンが大好きなので…)



ワンダは能力を持っていること以外、ごく一般的な女性だ。

シットコム世界では越してきた町に馴染もうと努力したり、料理や子育てを頑張っている。


町の人々はワンダに操られてる(現時点ではそういうことになっている)が、

表面上は全くわからない。平凡な町で人々は平和な暮らしを営んでいるように見える。


私の世界も実は同じではないだろうか。


見えてる世界は今日も、とりあえず平凡で平和である。


でも本当は、知らないどこかで今日も子どもが死に、人為的に海は汚れ森は焼かれ、生物は苦しめられながら息絶え、北極では氷が溶け続けている。


死にたいほどの苦しみを抱えながら、笑顔を振る舞っている。そんなふうに表面とは真逆のことを考えながら生きてる人がこの現実世界に何人いるだろう。


それでも私は日々の生活に追われて

目の前で起こることに一喜一憂し

今日も疲れたと言って布団に入る。


みんな、自分の世界で生きている。

見たいものだけ見ている。

私には自分の世界を作りあげたワンダを責めることはできない。


目に見えないものを想像していたい。

自分と他人、もの、自然、すべてが、

目に見える世界が全てではないということを教えてくれる。




若い頃は、マーベル作品にまったく興味がなかった。

しかし子どもが成長し、大人も一緒に観て面白い映画がマーベルシリーズだった。

と言っても私が観たことのある作品は


スパイダーマンシリーズ

・アイアンマン1〜3

アントマン1〜2

アベンジャーズシリーズ

ブラックパンサー


くらい。

マーベルの映画って、めっちゃくちゃいっぱいあるんですね。

そもそもマーベルコミックがめちゃくちゃ

多くて驚く。

日本の漫画でこういう形態取ってるのってないと思う。

世界線が同じなのは沢山あるだろうけど、

常に色々なキャラが、それぞれ主役張ったり別の物語では脇役やったりするのって、独特で不思議。


藤子不二雄先生のキャラクターたちが一斉に集まるのはスペシャルアニメでしかあり得ないし(めっちゃテンション上がるよね)。



ああ、あと2回で終わるのか…寂しいな…

とにかくワンダを幸せにしてよマーベル。頼むよ。

あとビジョン復活も諦めない。

よろしくお願いします。



日々のこと

住んでるアパートの真下の部屋は長らく空室だったのだが

先日ついに入居者が引っ越してきた。


階下からの生活音やばい。


我が家は小さい子どもがいるので就寝は早い。

夜9時には完全に静かな夜が訪れる。

するとちょうど帰宅してきた階下の住人が、帰ってきた安堵からか凄まじい速度で玄関を開けたりしているのが上階のこちらにまでハッキリと聞こえてくる。


きっと夕飯の支度や明日の準備、風呂にも入るんだろう。早く寝たいだろうし。

めっちゃくちゃ聞こえてくる。

体幹に響くくらい聞こえる。


階下に人がいるだけでこんな違う…?

前もこんなだったか…?


私は神経質なので物音がすると気になって眠れないし

不審に思った時は玄関が施錠されてるか確認しに行ったりしてしまう。


そうだ!そろそろ契約更新のタイミングだから引っ越そう!と物件を探すことにした。

夫に相談しなきゃな、と思っていたら夫がそういえば、と言って


「ここ更新したから」


洗濯物取り込んどいた、のテンションだった。


世の夫婦を知らないけど

共に住んでる賃貸物件の更新を

相手に相談なく勝手にやるもんですかね?

事後報告でいいんですかね?




夫はホウレンソウが出来ない。

報告、連絡、相談のこと。

結婚してから完全にやらなくなったというほうが正確で、事あるごとに揉めてきた。

そもそも、する気がないと言える。

夫にとってのそれは

「なんでいちいち言わなきゃいけないの?」

である。実際何回も言われた。


会社の上司にはするけど、

妻にはする必要性が感じられない、ということだ。これも本人に言われた。

今すぐ消えてほしい。


私が毎回キレるか泣くかしながら

ホウレンソウをしてくれと訴えてきたのでかなりマシになったと思っていた。

からの、

契約更新、事後報告か。

なかなかやるな。

覚えてろよ。



あとどのくらい、この騒音に耐えられるだろうか。けっこうキツい。

もし子が赤ちゃんだった頃、こんな音を夜に出されてたら激ギレしてたな。


とりあえずお金貯めよう。


朝顔じゃなくて三郎

フジテレビ系で現在放送中の
月9ドラマ『監察医 朝顔』を観ている。
監察医、というタイトルなので司法解剖やら事件やらは一応起こることは起こる。
しかし、このドラマの肝はそこじゃない。


主人公の朝顔上野樹里)は仕事と家事育児に奮闘している。
朝顔の夫で警官の桑原(風間俊介)は心優しく家族を何よりも愛する男。
元上司の義父とも良好な関係を築いている。ちょっと出来過ぎなくらいの人物。

朝顔の父・万木平(時任三郎)は元刑事。
真面目で温厚な人柄。朝顔たちと同居していたが退職し東北にある妻の実家へ移住した。


↓ 以下ややネタバレしてます




一人暮らしを始めた平は
東日本大震災で行方不明となった妻の手がかりを探す日々を過ごす中、自身の記憶力に違和感を覚えるようになっていく。
近所で食堂を営む奥寺美幸(大竹しのぶ)は平の妻・里子と同級生であり
里子の父・弘之(柄本明)は食堂の常連で、平もよく通うようになりふたりは親しくなる。

ここで強く言いたいのは
名前が並ぶだけで内容は知らずともその作品を観たくなる役者が揃っていることだ。
これでもうこのドラマは勝ちと言っていい。

私は朝顔ではなく時任三郎演じる万木平がこのドラマの主人公だと思っている。

平は「家族に迷惑をかけたくない」という思いで懸命に自身の異変と向き合おうとする。
「自分が変わっていくようだ」
朝顔に話す平。
自分の知らないところで自分自身が変わってしまっている。
もし自分が突然それを自覚せざるを得なくなったら恐怖と不安でしかないだろう。
記憶力がどんどん失われていくそのスピードに抗いつつも受け入れていく平のその姿は
私たち観ている視聴者を強く惹き込む。
15日放送回でのラストシーンは観ていて涙腺が崩壊した。

あと平と孫・つぐみのシーンは最高に可愛い(柄本明とつぐみも)。そこは必見なので全員観てください。
それにしても演技が上手いんだよ、つぐみ(加藤柚凪)。びっくりする。

柄本明大竹しのぶ東日本大震災の後もその土地で生き続ける人たちを演じている。
私は被災していないので想像するしかないのだが、あの2人の演技を見ていると本当にあのとき被災した土地に住んでる人の暮らしを垣間見てるようで思わず見入ってしまう。
もちろん被災者が全員こうだと決めつけてるわけではない。実際いると思わせる説得力がすごいのだ。柄本明大竹しのぶやるから嫌味がない、そういう演技をできる人は限られてると思う。


正直言って『監察医 朝顔』は
監察医がテーマのドラマとしては評価が低いと思う。
過去にフジテレビは
きらきらひかる』という名作を生み出している(ドラマは1998年に放送。その後もスペシャルドラマや続編が制作された)。
なので、制作チームと役者が揃えば面白いものを作れるはず(そのくらい監察医のシーンは信じられないほどにダルい)。
でもそれでいいのだ。このドラマのテーマは、家族だから。

「のび太の新恐竜」を観て将来について考えた

のび太の新恐竜」を観てきた。


観終わってずっと、非常に心がモヤモヤしている。

そして、できるだけ早く記憶から消したいなと思った。

できることなら一緒に観た我が子の記憶からも消したい。


早く家帰って「のび太と竜の騎士」か「のび太の海底鬼岩城」観たい。「のび太の日本誕生」も観たい。

のび太の恐竜」だけ、今は観る気がしない。

だってピー助(登場するキャラ名)が可愛すぎて、ストーリーも好きで、

だからなんで「のび太の新恐竜」あんなクソ映画になっちゃったん?て、また考えちゃってイラついて映画に集中できそうにないから。



でも観たからこそ堂々と、ハッキリと「大っ嫌い」と言える。

観る前は「観る気しねぇな…」という、

嫌な予感でしかなかったので。

誰だよこんな時代遅れのスポ根感動映画にしたの!あたしドラえもん映画観に来たんだけど!?


「新恐竜」を観終わった私の、

心のやり場があまりにもないので、

ここにぶちまけることにした。



twitterで「のび太の新恐竜」と検索すると、好意的な感想しか見つけられなかった時の絶望感。

私と同じ思いをした人はいないのか…?

本当に…?私のサーチ力の無さかもしれないよね?ね?

(後にネットで検索したら冷静に批判してる方が何人か出てきたよかった)


ここからは映画の批判でも何でもない、

私の許せなかった、解せなかった、

とにかくムカついた理由を書いていく。

(結末まで思いっきりネタバレ)





まず一番大事な、恐竜との出会いのきっかけである、のび太が恐竜の卵の化石を見つけるシーン。


ただ道で踏んづけて蹴つまずいただけ、だと?はぁ〜?そんなことあるか?

近くで化石発掘体験やってたから?

だから道にも落ちてるっしょ?

アニメだから現実でありえないこともあっていいっしょ、そもそもドラえもんっしょ、

じゃないんだよ。ドラえもん舐めんなよ。

F先生舐めんなよ。「のび太の恐竜」観ろよ。


家に化石を持ち帰ったのび太ドラえもんにせがんでタイムふろしきを使って恐竜の卵をかえすことに成功する。





その生まれてきた恐竜が……




かわい……く…ない……



わかってるわかってる、これはピー助

(「のび太の恐竜」で、のび太が育てる恐竜)じゃないし、

人それぞれ好みは違うし、かわいいの基準も違うし、それはわかる、わかるけど、


これ、本当にドラえもんに出てくるキャラクター??

恐竜であの喋り方(?)、見た目。

私の知るドラえもんの世界観と合わず全くピンとこない。


「かわいいでしょ?」って観客に押し付けてくるようで、しんどい(これは主観)


あーもう全部観ないで帰っていいですか、だった。

(ちなみに私はドラえもん以外のアニメも好きなものは見るし漫画も読む方です。声優さんに罪はないと思うんだ。ミュー役の釘宮理恵さんは鋼の錬金師を観てたから上手なのは知ってる)


あれをかわいい!って思う人を否定する気は全くない。


私が言いたいのは、

なんで、なんでドラえもんにあのキャラクター作ったの。

合ってる?テイスト合ってる?なんか急に別のアニメのキャラ出てきて「あれ?コラボ作品だったかな?」って見た人思わない?

あとメガネ外したのび太の目が変わりすぎててびっくりした。このキラキラ目の人、誰?

過去作とかなり絵柄が異なるのは知っていたけど、ここまで変わったか。


この恐竜たちが、ドラえもん映画に出てこなければ(私の好みではないけど)ここまで拒絶はしなかった。

これほどの怒りと悲しみも湧いてこないよ。

もっと合うテイストのアニメあるでしょうよ!秋葉原方面に!


生き物って、そのままの姿で、かわいいじゃん。

あんな風にキラキラ〜キュルン!かわいくデコっちゃお!(恐竜に…)なんてやらなくても充分愛おしい存在になるって、子供達には伝わるはずだよ。

F先生は、そういうことを教えてくれた人だと思ってるんだけど。

のび太の恐竜っていう映画に出てくる、ピー助っていうキャラがいるんですけどね、試しに観てみてください。

かわいすぎて恐竜を飼いたくなります。


あー起承転結の起でもうしんどい。どうしよう。続ける。



生まれてきた双子の恐竜はキューとミューと名付けられた。

のび太の世話によって成長するにつれ、個体差がはっきりしてくる。性格も正反対。

ミューは体が大きくて飛べる。活発で人懐こいメスの恐竜(性格部分は公式より)

キューは小さくて、飛ぶことができない。

間抜けで弱気なオスの恐竜(同じく公式より。この紹介文もイラッとする。別にまぬけじゃなかったし、のび太に重ねようとしてるんだろうけど無理があると思う)

で、のび太のび太で、学校で逆上がりができない。練習してもできない。

「別にこんなのできなくったっていいや」

と嘯く。


嫌な予感がぐんぐんしてきますよねー、この伏線。



のび太たちはキューとミューを恐竜の時代に返そうとタイムマシンで出掛ける。

ようやく双子と同じ種の恐竜たちに出会うと、ボス恐竜に拒まれキューが襲われる(ここらへんうろ覚え)

するとのび太

「どうして…仲間なのに…体が小さいから…?飛べないから…?」

「わかったよ!絶対キューは飛べるようになるから!」

とボス恐竜にキレるのび太

無理やり飛ぶ練習をさせられてボロボロになるキュー。

まためっちゃくちゃ怒るんだよ、のび太が。

「飛べよ!なんで出来ないんだよ!」って。

あの、のび太がだよ?

で、キューが

「もうやだ!むり!」て(言ってないけど)どっか行っちゃう(人間かよ)。


場面変わって、番宣出まくりのキムタク先輩が声あててるキャラクター、ジルが登場。

まあ、あのキムタク先輩が悪者なのね?と思っていたら、


まさかのタイムパトロール隊員だった。


ちなみに公式では

白亜紀という時代に存在するはずのない猿の姿をした怪しい男(以下略)』

とのこと。

これ、ただ謎めきたかっただけだよね?

だって作品中で、なぜ猿の姿かの説明がまったくなかった(しかもちょいちょい違う生き物にも変身してた)。私が見落としたかな?後半の凄まじいほどのセリフ説明に追いつけなくて見落としたかな?

しかもそのジルが白亜紀時代にがっつり基地作って恐竜たちの標本ずら〜って並べてんだよ。

悪者だよ〜って見せておいて、実は違くてびっくり!をやりたかっただけなんだよね!こっちは違う意味でびっくりしたよ!

(キムタク先輩と直美ちゃんは良かったよ。特に直美ちゃん上手)


だってタイムパトロール隊って、歴史を変えてしまう犯罪を取り締まるんだよ?

なんで白亜紀に、わざわざ猿の姿でいる必要ある?標本ずら〜っ、いる?ちゃんと理由あるんでしょ?ねえ教えて、教えてよ元気。



それからストーリーのどの辺りだったか忘れたけど、のび太とキューが白亜紀の海に落っこちるシーン。


まさかの(約30行ぶり2回目)ピー助登場。


ピー助が、気を失ったのび太とキューを背中に乗せて陸まで連れていって、去っていく。


「え…?夢…?」的な…こと…だよね…?

えっと、パラレルワールドってこと??

私の読解力の無さのせいかもしれないけど

ぜんっぜんわかんない。

なんでピー助が出てくるのか、わかんない。


こういうとこに、この人(元気)の、

ドラえもんという作品への思いゼロ、リスペクト皆無、が出ちゃってる気がしてならない。

思い入れの強いキャラクターを雑に扱われてるようで悲しいんだよ、私は。

過去作のキャラ、入れておきますね〜

出てきたら嬉しいでしょ〜?

しかもこんな風に、わかる人にはわかるって感じで出しておくね!これいいっしょ!

って、やっつけ仕事しないで元気。

それとも監督か?両方か?全員敵か?



やっと起承転結の、結。

もううろ覚えだから巻いて書くけど白亜紀は隕石が落ちてきてこのままだと恐竜たちは絶滅してしまう、のび太それを全拒否、タイムパトロール隊くる、なんか色々長々とセリフ説明があってドラえもんの道具で何とか恐竜たち助かった、らしい(子がお腹すいた、とか話しかけてきて、ちゃんと観てなかった)


なんか、ここもよくわかんなかったの、私がちゃんと観れてなかったせいだけではない気がするんだよな〜。

桃太郎印のきびだんご無しで、全恐竜があんなに言うこと聞く?

ドラえもんの道具で作った、のびランドだっけ?に恐竜たちをあんなに残しちゃって、

その後の歴史変わらないの?いいの?

タイムパトロール隊、それは止めないの?

なんで??


のび太と竜の騎士」は、ドラえもんが作った地下空洞に恐竜たちが住める地底世界を築いて恐竜たちは生き残る。

のび太の月面探査機」では、ドラえもんの道具、異説クラブメンバーズバッチによって月にウサギ(生命)はいない世界と、いる世界に分けられパラレルワールドは続いていく。

どちらもF先生のSF(少し不思議)であり、観ている方も理解し納得ができる内容だと思う。


そして想像できるじゃん。子どもも。

「もしかしたら、まだ知らない、見えない世界がたくさんあるんだ」って。

大人だってワクワクするけど。

そういうのが、ないんだよ新恐竜には。

え?それでいいの?みたいに置いてかれる場面が何度もあって

最後の方はもう「よくわかんないけどもういいや(諦)」って。



そして私が伏線シーンの時から一番恐れていた

「キューが飛べるようになり、のび太は逆上がりができるようになる」

で、この映画は終わった。

マジでこれで終わってしまった。


これでもう一点の曇りもなく

この映画が最悪胸糞映画ということが私の中で決定した。


元気、やっちまったな、ほんとに。


これが昭和のアニメなら、よかったね〜

これがF先生の作品じゃなきゃ、よかったね〜

あなたが好きに作る映画なら、私も何の文句もないよ(観ないだろうし)


ちなみに映画観終わった我が子が特に何も言ってなかったのは印象的だったわ。

(間違っても私は「この最悪胸糞映画が!」などと子に一切言ってない)

子、おしゃべりだから、観終わってすぐ感想言うんだけどね。本人にとって面白ければ。

すーーん、だったよ。無。

あんなに観るの楽しみにしてたのにね。



元気さ、ドラえもんて漫画さ、ちゃんと読んだことある?

映画、ひとつでも観たことある?


ドラえもんってさ、猫型ロボット界では出来の悪いロボットなんだよね。

主人公のび太も学校じゃ何やっても不得手。

その2人が、ドラえもんの道具使ったり、時には使わなかったりしながら

バカなことしたり失敗したり冒険したり友達助けたりするんだよ。


あと元気、知らないだろうけど

のび太は射撃とあやとりが得意なんだよ。しかもどちらもプロ級。

(これ、普通に考えてめちゃくちゃ凄くないですか)

特技が2つもあるんだよ?2つも!

脚本にも活かせるよね!もう書かないでほしいけど、多分また書くだろうから教えておくね!

(笑っちゃうほどかっこいいのび太の射撃が観られるオススメ映画は「のび太と銀河超特急」)



私は、川村元気という人はドラえもんという作品に

5000パーセント興味がないんだと思ってる。

「好き」でも「嫌い」でもなく、

ただ関心がないんだと思う。


キャラクターへの愛がまったく感じられないし、

ドラえもんの世界観への理解も愛も、ない。

宝島でもそう思ったけどな。

今回はより明確になった。




つうか「新恐竜」に関わってるすべての人たち、
作品とF先生に対するリスペクトはないんか?

F先生のことを、ドラえもんのこと、大事に考えてる?

たぶん考えてないよね?そう思われても仕方ない映画作っちゃったよ。



だってさ、とにかく新しければ、今までのドラえもん映画とは全くの別物であればそれでいいっていう、ねじ伏せ方がそれはもう暴力的じゃん。あと「泣ける」ってことでしょ。これ重要なんでしょきっと。

どうっっっでもいいわ!

ドラえもん映画は泣ける」って最初に言ったの誰だよ!前出ろ!

たしかに感動する話もあるけど、

大事なのそこじゃないんだよバカ。




悲しい。


私がまず「新恐竜」てタイトル見たときのモヤモヤは、これだったのか。


ドラえもんにもF先生にも敬意がない、F先生の描いたドラえもんとは別物だってことを知らしめるためだけの映画だって

世間に、私のような昔からのファンに、

言いたいだけだったんだね。

たしかにそれは大成功だよ。


のび太の新恐竜」は、F先生のドラえもん映画とは全く別物の映画だよ。

それがはっきりしただけのことなんだけど、これほどまでに悔しいとは思わなかった。

なんつうかさ〜すべてが雑なんだよ〜

話もキャラの作りも何もかもがよ〜。



何故かダメな部分だけはきっちーんと残してるのな。

そこを変えればよかったのに。


例えばジャイアンスネ夫のび太の「友達」と称する時、もうあの定番のいじめやジャイアンの暴力シーンはやめるべき

(ストーリーの展開として必要なのは理解してるけどさ)だし、

弱きを助け強きを挫く、よく気がつく映画の時のジャイアン(過去の映画では敵から逃げているようなシーンでは必ずジャイアンのび太を助ける)と、

自慢と泣き言ばかり言うけど、いざとなったら勇気を出して仲間を助ける(映画「のび太の小宇宙戦争」を観て)、物知りで優しい映画の時のスネ夫で、良いじゃないか。


しずかちゃんのお風呂のぞくシーンも一切いらん。

(「新恐竜」では風呂シーンないけど)


このように、ドラえもん映画好きである私とて今観たら「これアウト」「子に観せたくないなー」って思うシーンは結構ある。


新しくしたいなら、もっと今の時代に合った変え方があるじゃん。てこと。


それなのに今の時代に要らん部分は律儀なまでに綺麗に残したまま、

加えた元気オリジナルが

「努力は必ず報われる」

「マイノリティが死ぬ気で頑張って無理やりマジョリティに統合する」

だなんて、令和に持ち込んでくるなよ。平成に捨ててきてよ。子供が観る映画だよ。


ドラえもんファンとしてもムカついたし、

子の親としてもムカついてんだよ。


何度も言うけど新しいドラえもんを作ること自体を、否定はしない。

時代は変わるし、価値観も変わる。むしろ変わるべきだと思う。

その時代に合ったドラえもんを作り続けることだって、F先生へのリスペクトになるはずだ。

ただ、愛を持って変えてほしいよ。

そうじゃなきゃ、ただの侵略で中傷で冒涜でしょうよ。



「昔は良かった」なんて言いたくない。

私は子に「今の時代って最高だよね」って言い合いたい。未来は明るいものであってほしい。そこにドラえもんがいれば尚のこと。